染織

久米島紬はなぜ泥で染めるのか、4万2千反を織った島の紬が4,600万円規模になるまで

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Ou Island, Ōha Island and Hate-no-hama Beach seen from Tounnaha-jō, Kumejima, Okinawa Prefecture, Japan.
Photo: 松岡明芳 / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons
AIによる調査公開資料をAIが調べて整理しました(特定の工房・商品の宣伝ではありません。出典は末尾)。

沖縄県の久米島では、山野に自生するフクギやテカチなどの植物と、泥を使って糸を染める。1923年には4万2千反余りを生産するまでになった久米島紬は、戦後の1956年ごろには150反程度まで落ち込み、そこから島で2番目の産業と言われるまでに立て直された。しかし生産額はこの40年で大きく減っている。

3行でわかる

  1. 久米島紬は、真綿から手でつむいだ糸を、島に自生する植物の染料と独特の泥染めで染め、高機で織る紬である。
  2. 約500年前の養蚕技術の導入と、17世紀前半の王府派遣の技術指導が基礎とされ、1974年度に伝統的工芸品に指定された。
  3. 生産額は1982年ごろの7億円近くから2019年度は4,600万円に減り、従事者も1999年度の270人程度から100人弱になった。

01この工芸は何か(技術の正体)

久米島紬は、真綿から手びきして紡いだ糸を、島の植物染料と泥染めで染め、高機で織り上げる紬である。

糸は真綿から手びきして紡ぎ、久米島の山野に自生するフクギ、テカチ、ユウナ、ヤマモモ、グールなどの植物染料と、独特の泥染めの技法で染める。そのうえで高機(たかばた)で織り上げる[1]。

丈夫さ、色合いの美しさ、着心地の良さが高く評価されている[1]。

02産地とその歴史

約500年前の養蚕技術の導入と、17世紀前半に王府から派遣された人々の技術指導が、今日の久米島紬の基礎とされる。

久米島紬は、約500年前の堂之比屋による養蚕技術の導入と、17世紀前半に王府から派遣された坂元普基、友寄景友らの技術指導によって基礎ができたといわれる[1]。

その後、税として納める貢納布に指定され、1903年に貢納布制度が解かれるまで、王府の監督のもとで「御絵図帳」に沿って織られた。自由な製造販売が許された後、1923年には42,000余反を生産するまでに成長した[1]。

03技術を、生活の言葉で

戦後に150反ほどまで落ち込んだ生産は立て直されたが、生産額は1982年ごろをピークに減り続けている。

沖縄県「令和4年度 工芸産業振興施策の概要」[1]

1956年ごろには150反程度を生産するのみだった久米島紬は、国・県・村・業界が一体となった努力で、サトウキビに次ぐ久米島第2の産業と位置づけられるまでになった。生産額は1982年ごろに7億円近くに達した後、減少傾向にあり、2019年度は4,600万円。1人当たりの年間生産額は47万円程度で、1999年度に270人程度いた従事者は、2019年度には100人弱になった。

補足: 1人当たりの年間生産額47万円は、紬づくりだけで生計を立てることの難しさを示している。後継者育成でも、研修修了後に十分な収入が得られず約半分が離職しているとされる。

04後継者問題とテクノロジーとの交差点

大手問屋の倒産などで需要が落ち込むなか、産地は問屋に頼る販売から、現地での直接販売や観光との連携へと軸足を移そうとしている。

1

共同作業場と直接販売

2006年度には、糸くくり・染め・機織りの共同作業所として「宇江城ユイマール館」が開館し、同年度に組合は地域ブランド「本場久米島紬」の商標登録を受けた。大手織物問屋の倒産の影響などで在庫を抱えるなか、新たな問屋の開拓やユイマール館での直接販売など、従来の販売方法からの脱却を図っている。

2

観光との連携

第10次振興計画の素案によると、組合は久米島紬の歴史的背景に触れる観光コースを独自に作り、観光商品にしている。一方で、原材料の品質の不安定さや、猛暑化に対応した商品へのニーズへの対応が課題とされている。

島の自然そのものが染料になる久米島紬は、島を訪れる人との接点を増やすことが、販路の再構築につながる可能性を持つ。

05関連する工芸

同じ沖縄の織物として、原料の糸の不足に悩む芭蕉布や宮古上布と比べると、産地ごとの課題の違いが見えてくる。

06よくある質問

久米島紬はどのように染めるのですか

島に自生するフクギ、テカチ、ユウナ、ヤマモモ、グールなどの植物染料と、独特の泥染めの技法で糸を染めます。

久米島紬の生産はどれくらい減ったのですか

沖縄県によると、生産額は1982年ごろの7億円近くから、2019年度は4,600万円になりました。

久米島紬はいつ伝統的工芸品に指定されましたか

1974年度に伝統的工芸品として指定されています。1977年度には県の無形文化財にも指定されています。

出典

  1. 沖縄県 商工労働部ものづくり振興課. 「令和4年度 工芸産業振興施策の概要」. https://www.pref.okinawa.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/011/630/r4_zentaiban.pdf
  2. 沖縄県. 「第10次沖縄県伝統工芸産業振興計画(素案)」. https://www.pref.okinawa.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/040/770/soann.pdf
  3. 沖縄県. 「第7次沖縄県伝統工芸産業振興計画」(2012年3月). https://www.pref.okinawa.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/011/629/7th-traditionalcraftpromotionplan.pdf